住友化学 山口氏が語る、DX・AI活用の加速に向けて整えるべき「心理的安全性」

現在、住友化学株式会社とストックマークは日本の生成AI開発力を強化するための経済産業省とNEDO主導の「GENIAC」プロジェクトにおいて、製造業の複雑なデータをAI Ready化するための取り組みを共に推進しています。本対談では、同社においてR&D部門やDX推進を管掌されている山口様に、AI活用を通じたこれからのビジョンや、AI時代における人間の仕事の醍醐味について、ストックマークの林が伺いました。

挑戦を楽しむための「心理的安全性」を社内へ

ストックマーク 林(以下、林):山口さん、今日はお忙しい中ありがとうございます。山口さんはR&DからDX領域まで幅広く管掌されていますが、そんな山口さんが今、注力されているミッションからお聞かせください。

住友化学 山口氏(以下、山口):よろしくお願いします。ミッションは色々ありますが、私が根底でやりたいと思っているのは、社内に「心理的安全性」を醸成すること、これに尽きます。

日本の製造業、特に我々のような企業は、高度経済成長期を経てからの20〜30年、既存の事業を維持し、失敗をしないように守るという「維持活動」に重きを置いてきました。もちろんそういった維持活動は大切です。一方でそればかりだと、組織から活気が失われてしまうのも事実です。

もともと日本人にも、ゼロから何かを生み出すスタートアップ精神を持つ人が沢山いたはず。それがいつの間にか、国全体が維持活動にシフトしてしまった。ずっと同じことをやっていれば、誰だって守りに入ってしまうし、飽きてしまいます。

今、私を含め経営陣は、社員とともにできるだけ新しい挑戦をしていきたいと思っています。だからこそ、AIのような新技術を使い倒して仕事を楽にしたり、面白いことに挑戦したりしてもいいんだよ、という『安心感』をどう広めていくか。これを常に考えています。最近は人事制度の見直しにも関わっていますが、すべてはそのための土壌作りです。

林:「心理的安全性」という言葉に深い想いを感じているのですが、山口さんご自身にはどういったルーツがあるのでしょうか。

山口:私は元々、理系なのですが哲学が大好きで本をかなり読んでいました。受験勉強もあまりした記憶がなくて(笑)

親からも「社会生活に向いてない」と、ドクターコースを進められていたような人間です。そんな私が住友化学に入ってやってこられたのは、懐の深い社風があったからです。会社で心理的安全性を感じながら、伸び伸びと働いてきましたし、当時から上司や経営陣には非常にユニークで面白い人がたくさんいました。

現場の皆さんには、もっと肩の力を抜いて、もっと思い切って「仕事を楽しむこと」への安心感を持ってほしい。それが今の私の願いですね。

3割近くがAI活用積極層。残り7割への働きかけとは

林:住友化学さんにおける、AI活用の浸透具合はいかがでしょうか。

山口:役職クラスの3割以上がAI活用に積極的な反応を見せています。中には60歳近い方でも、部下と「AI活用の取り組みを進めよう」と自ら動いている例もあるほどです。 全社的なDX推進施策の効果もあり、浸透は着実に進んでいます。今は活用をさらに加速させていくフェーズですね。

一方で、DXというと「自分の業務とは別のことを新しくやらされる」という感覚がまだ強い人もいます。

特にベテラン層は、長年築き上げた自負があるからこそ、新しいものに対して慎重になってしまう傾向もあります。ケミカルの工場現場は安全が最優先ですから、保守的になるのはプロ意識の表れでもあるんですよね。

ただ、部下が新しい提案をした時に、上の人間が不機嫌な顔をしたり、今まで通りでいいと撥ね付けてしまうのは良くない。それでは部下の心理的安全性が損なわれ、挑戦の芽が一気に摘まれてしまいます。

大きな流れで見れば、AIの登場は、そろばんが電卓になり、それがExcelに置き換わっていったのと同じことなんです。単に「使えるツールがどんどん良くなっている。楽になるよ」という話。だから私はベテラン層に対しては「難しく考えず、自分がデジタルが苦手なら、まずは得意な若い人にお願いしてみたら良い」と言っています。

暗黙知には、日本ならではの強みが秘められている

林:今回の「GENIAC AI-Readyプロジェクト」では、御社が持つ膨大な「暗黙知」の形式知化が大きなテーマです。山口さんが考える、R&Dを支える重要な暗黙知はどのようなものでしょうか。

山口:二つの側面があると考えています。一つは「総合知」としての暗黙知です。リベラルアーツ的な素養をベースに持っている人の化学やものづくりは、やはり視点の深さが違う。私も若い頃に哲学書を読み漁りましたが、一見すると化学とは無関係に見える教養が、実は独創的なアイデアや本質を見抜く力に繋がっている。そうした「知の深み」から生まれる判断は、言葉にするのが難しい、まさに暗黙知の極みです。

もう一つは、「現場に息づくノウハウ」ですね。なぜかあの人が調整すると上手くいく。本人ですら言語化できていない、経験に裏打ちされた感覚が間違いなく現場を支えています。

日本の製造業は、世界と比べても事故が圧倒的に少ない。鉄道などのインフラもそうですが、これだけの定時性を維持できる技量があるのは日本くらいでしょう。

日本人は当たり前だと思っているけれど、これは世界的に見れば驚異的な価値。これをノウハウ化できれば日本の武器に出来るのではないかと思います。

今回のプロジェクトでは、工場の熟練の技や、独創的なアイデアを出す研究者の思考プロセスといった「目に見えない資産」を、ストックマークさんの旗振りのもとで抽出したい。こうした暗黙知を誰もが活用できる形にすることができれば、日本のものづくりはもう一度、世界に対して圧倒的な競争力を持てると期待しています。

AI活用が進んだ先、磨くべきは「人間力」

林:AIが社会や組織のあり方を根本から変えようとする中で、人間が集中すべき領域はどう変化していくと思われますか?

山口:AIは特別なものではなく、数年経てば当たり前に使うものになるはず。私も普段、普通に使っています。

今、AIに懸念があるとすれば、ハルシネーションをどう見抜くか。私たちの世代なら経験上で「これは間違っている」と気づけますが、若い世代がそれを判断できるか。そこは、多様なデータや失敗事例をAIに読み込ませて、AI側の精度を高める努力を続けていく必要があると思います。

そうしてAIが進化するにつれて、最終的には社会はだんだんボーダーレスになっていくのではないでしょうか。

以前ある記事で「課長を飛び越えて部長に相談してはいけないのはなぜか」という若者のコメントを目にしました。日本の企業はこうしたヒエラルキー要素の強いところがあります。でも、AIで誰でも良質な情報にアクセスでき、情報を共有すること自体が当たり前になれば、そんなことは言っていられない。情報がフラットになれば、課長や部長は情報をコントロールする役割から解放され、純粋に「責任を負う」存在へと変わっていく。

そこで人間に残されるのは「マネジメントの真髄」や「人間力」だと思うんです。誰かの心に火をつけたり、泥をかぶって決断したり、求心力のある組織を作れるか。そうしたメンタリティの部分が、これまで以上にリーダーの資質として重要になってくるでしょうね。

作業はAIに任せ、人はより醍醐味を感じられる仕事を

林:山口さんご自身は、これまでのキャリアの中でどんな瞬間に「仕事の楽しさ」を感じてこられましたか。

山口:会社のキャリアってガチャポンみたいなところがあると思っていて。

私は以前、基礎研究所の研究者だったところから全く門外漢の分野での事業関連の仕事を任されたことがありました。研究がしたくて入社した身からすると、自分からは選ばない選択肢ですよね。ただ、そこで出会ったベテラン社員達が本当に面白かった。こういう予期せぬキャリアも、ガチャポンと同じで「次は何が出るのかな」「赤が良かったけど青も良いな」と柔軟に捉えるマインドで仕事を楽しんできました。

組織だからこそできる仕事の「楽しさ」もあります。やはり数千億円規模の事業に携わることは1個人だけではなかなか成し遂げられない経験です。また、自分たちが生み出した価値に、お客様が納得してお金を払ってくださる。その喜びは何物にも代えがたい。

そういった仕事の楽しさ、醍醐味をもっと感じられるようにしたいですね。

まさにAIの登場で、面倒な作業は任せて、こうした「手応えのある仕事」をもっと楽しむことができるはずです。

林:最後に、現場で日々変革に立ち向かっているリーダーの皆さんへ、メッセージをお願いします。

山口:エジソンは「失敗の反対は、挑戦しないことだ」と言いました。また、元サッカー日本代表監督のザッケローニ氏も「挑戦すれば、成功は約束されなくても、『成長』は必ず約束される」という趣旨のことを言っています。プロフェッショナルとして、次世代に自分が得た以上のものを残す。そのためには、失敗を恐れずアクションし続けるしかありません。

最近、うちの30代の社員たちが、技術の話だけでなく「来月はこの施策で売上向上を狙います」と経営的な視点で語り始めたのを見て、私は本当に感動したんです。

AIを味方につけ、試行錯誤を恐れず、自分の、そして会社の可能性を広げていく。そんな熱量を持ったリーダーが一人でも多く出てくることを、心から楽しみにしています。