現在、三菱ケミカル株式会社とストックマークは日本の生成AI開発力を強化するため、経済産業省とNEDO主導の「GENIAC」プロジェクトにおいて、複雑なデータをAI Ready化するための取り組みを共に推進しています。本対談では、同社においてデジタル変革を推進されている浦本様に、AI活用を通じたこれからのビジョンや、AI時代における人間の仕事の醍醐味について、ストックマーク林が伺いました。
DXのジレンマを突破する、ボトムアップとトップダウンの融合
ストックマーク 林(以下、林):浦本さんは今年1月に三菱ケミカルへ戻られたばかりですね。今、CDOとしてどのような構想を描かれているのでしょうか。
三菱ケミカル 浦本氏(以下、浦本):はい。以前もこの会社に6年ほど在籍し、データ分析やデータプラットフォーム構築をベースにDXを推進していました。改めて三菱ケミカルに戻ってきて感じるのは、AI活用のうねりが現場サイドの「ボトムアップ」から力強く巻き起こっているということです。 製造現場や事業部門でも、自発的にAIツールの導入や業務改善の取り組みを開始しており、活用が進んでいます。こうした現場の熱量から取り組みがスタートしていることは、非常にポジティブに捉えています。
一方で、「現場から小さく始めて横展開」という手法は、DXの王道ではありますが、それだけではスケールしきれないというジレンマもあります。スモールスタートに留まると、業務そのものを刷新するような大きなインパクトには繋がりにくい。 だからこそ、現在は「トップダウン」のアプローチを組み合わせていくようにしています。単にAIツールを導入し活用を推進するだけでなく、既存業務の本質やプロセスそのものを再定義する、いわゆるBPR(Business Process Re-engineering)の発想込みでのドラスティックな変革は、トップダウンで仕掛ける必要があります。現在、社内でも業務プロセスを抜本的に見直すBPRの動きがいくつかあり、そこにAIを組み込み、いかに変革を確かなものにしていくか。こういったことを目指しています。

変革期の化学業界を支えるデジタル活用を
林:化学業界が保有する膨大なデータは、AI活用の観点から見れば計り知れない可能性を秘めていますよね。
浦本:そうですね。我々のような伝統的な製造業には膨大な「暗黙知」が蓄積されています。現在、形式知を蓄積するデータの基盤整備については、ある程度土台ができつつあります。一方で、そのデータを活用するためには、考えるべきことがまだ多くあります。暗黙知をどのようにして形式知に変換するか。構造化データと非構造化データをどう集め、どう繋げていくべきか。また、これまでは人間がデータにアクセスできれば十分でしたが、今はAIもデータを読み解く時代です。となると、人間とAIの双方が等しく理解できる「共通のデータ表現形式」のあり方も再定義する必要があるかもしれません。
AIの成果を測るKPIの設定も重要です。「コスト削減」といった生産性向上につながる定量的な側面も無視できませんが、真に目指すべきはビジネスの本質的な価値向上です。例えば、営業担当者がより深く顧客と向き合う時間を創出することや、R&Dにおける新規用途の探索を加速させること。「守り」と並行して、こうした「攻め」の価値創造をデジタルで支えていきたい。
現在、国際的な原料調達リスクなど、化学業界は大きな変革の時代にあります。これを逆にチャンスと捉え、いかにデジタルの力で全社のビジネスポートフォリオ変革を下支えできるか。これが今の私のチャレンジです。
暗黙知の消滅を食い止める。「AI-Ready」プロジェクトへの期待
林:今回のプロジェクトでは、社内に眠る「暗黙知」の活用が大きなテーマです。製造現場における「暗黙知」の現状をどう捉えていますか。
浦本:製造現場では、ベテランの方が退職される時に、実質的な引き継ぎを行うことが困難なケースが多々あります。こうした「暗黙知の消滅」は、現場の工夫だけで打開するのに限界があると思っています。
林:現場からは、具体的にどのような活用ニーズが上がっているのでしょうか。
浦本:例えば、ニーズが高いのは、RAG(検索拡張生成)を活用し、事業所や工場の膨大なデータを即座に利活用できる環境の構築です。 また、製造現場だけでなく、営業・事業サイドにも重要な暗黙知が偏在しています。我々の中には数十年にわたり同じ製品を扱い続けているところもあり、そこで培われた営業ノウハウは後進に引き継いでいく必要があります。日本企業は「人と人との繋がり」を重視する文化ですから、繋がりそのものを含めて、至るところに重要なナレッジが眠っている。こういったところも、資産化できれば大きな価値になると思っています。
現在、現場知識の収集と検索の取り組みについては複数の組織で進んでおり、中には、AIが生成した回答を熟練者が修正し、それをさらに再学習させるという高度なサイクルを回しているチームも出てきました。こうした「現場で知恵を磨き上げるサイクル」を、日常的かつ容易に回せる仕組みとして定着させていきたいですね。
林:今回のGENIACプロジェクトについて、改めて期待をお聞かせください。
浦本:このプロジェクトでは、まずは会社ごとに現場の暗黙知を形式知化することを目指すわけですが、その先にある「企業間の連携」にも期待を寄せています。化学業界は企業間での横の繋がりが限定的なところがあります。今回のプロジェクトを起点に、社内の枠を超えた連携やデータ活用のあり方についても、議論を深めていけたら嬉しいですね。
AIとの「共進化」が拓く未来
林:AIが進化し続ける中で、これからの人間の役割はどう変わっていくのでしょうか。
浦本:AIは適切なデータがあれば加速度的に成長しますが、人間は一朝一夕には成長できません。だからこそ、AIが学習した形式知を人間が多角的に捉え、そこからまた人間が新しい知見を生み出していくような、AIと人間が共に高め合う「共進化」の仕組みが必要だと思います。
林:社員が歩むべき「成長のプロセス」も再定義が必要ですね。AI活用が前提の中、今後の新入社員の役割はどうなっていくのでしょうか。
浦本:難しいですよね。新入社員が5年かけて習得する知識を、AIはわずか数ヶ月で学習してしまう時代ですから。ただ、10年後、20年後に組織の中核を担うのは、間違いなく彼ら自身に他なりません。 働き方は、かつてのインターネット登場時と同じように激変するでしょうが、企業が追求すべき価値の本質は不変です。
最終的に重要となるのは、個々人がどれだけ「好奇心」を持って仕事に向き合えるか、人やAIと信頼関係を築けるか。その中で、個人としてチームとして、どのように成長するか。AIに委ねられる領域は積極的に任せ、人間はよりクリエイティブで、自分自身がワクワクできる本質的な領域に集中すべきだと考えています。
一人の学びを「チームの学び」へ昇華させる
林:浦本さんご自身が、これまでのキャリアで最も仕事の「楽しさ」を感じた瞬間はどんな時でしたか。

浦本:純粋な「楽しさ」とは少し違うかもしれませんが、後から振り返ったときに、バラバラだった仕事の経験が一つに繋がる感覚は非常に面白いものです。私はかつてIT企業の研究所で働いており、自然言語処理から始まり、ウェブ、セキュリティと、一見すると関連の薄い分野を渡り歩いてきました。しかし、それらの経験が今、生成AIという大きなうねりの中で鮮やかに結びついています。まさにスティーブ・ジョブズの「コネクティング・ザ・ドッツ」ですね。 当時は「なぜこれを自分がやるのか」と迷うことがあっても、目の前のことに没頭した経験は、必ず後のキャリアで意味を持ちます。だからこそ、まずは今向き合っている仕事に全力を注ぐことには、計り知れない価値があると考えています。
林:ありがとうございます。最後に、現場で変革に挑んでいるリーダーたちへ、メッセージをお願いします。
浦本:まずは、リーダー自身がAIを使いこなしてみる。その背中を見てメンバーが続き、やがて組織全体に波及していく。そうした流れを作ることには、引き続き挑戦していってほしいですね。
これからの時代、知見を個人の中に留めるのではなく、チーム全体で学び、共有し合っていくことが不可欠です。ぜひ、新しい技術を楽しみながら、ワクワクする未来を一緒に作っていきましょう。