インド10億人の市場を目指して。スズキ 野中氏がAIで目指す「生産性5倍、10倍」の挑戦

現在、スズキ株式会社とストックマークは日本の生成AI開発力を強化するため、経済産業省とNEDO主導の「GENIAC」プロジェクトにおいて、複雑なデータをAI Ready化するための取り組みを共に推進しています。本対談では、同社において拡大するグローバル市場を見据え、デジタル戦略を通じた事業拡大を推進する野中様に、AI活用を通じたこれからのビジョンや、AI時代における人間の仕事の醍醐味について、ストックマーク林が伺いました。

「Next Billion」へ届ける、デジタルという名のインフラ

ストックマーク 林(以下、林):本日はよろしくお願いします。まずは、いまスズキさんが最も注力されているミッションからお聞かせください。

スズキ 野中氏(以下、野中):よろしくお願いします。スズキは、中期経営計画でも掲げている通り、人々の生活を支える「インフラモビリティ」でありたいと考えています。

その中で今、私たちが最も熱を入れているのが「ネクスト・ビリオン(Next Billion)」、つまり「次の10億人」というキーワードで、これはインド市場を指しています。

林:10億人⋯凄まじい規模ですね。

野中:現在、インドの人口は14億人を超えていますが、モビリティの恩恵を享受できているのは都市部を中心とした4億人程度です。私たちはその中で約4割のシェアをいただいていますが、逆に言えば、農村地域などを含む残りの10億人には、まだまだ手が届いていないのが現状です。スズキとしては、こうした層にこそ「生活を支えるインフラモビリティ」としての価値を届けていきたいと考えています。

林:その「Next Billion(次の10億人)」という巨大な市場へ向けて、具体的にどのような構想をお持ちですか。

野中:インドの広大な国土を考えれば、従来のように人手で市場を網羅しようとするのは、コスト的にもスピード的にも現実的ではありません。だからこそ、デジタルを前提としたスケールが不可欠になります。

例えば、農村地域の方々は、車は持っていなくてもスマートフォンは手にしている。そうしたデジタルの接点を介して、移動手段としてのモビリティだけでなく、彼らの生活を豊かにする「情報や付加価値」そのものを届けていくつもりです。

これを目指す上で前提となるのが、私たち自身の働き方です。既存業務の生産性を1〜2割高める程度の延長線上では、このスピード感には到底追いつけません。

AIを徹底的に使いこなし、自分たちの生産性を5倍、10倍へと非連続に引き上げていく。非常に大きなチャレンジですが、そういったことを目指して取り組んでいます。

7割の社員がAIを使用。スズキ流トップダウンアプローチ

林:スズキさんはAI活用の取り組み開始が早かったイメージがあります。

野中:2022年末のChatGPTの登場後、2023年3月にAzure上でセキュアな生成AI環境が整ってから、一気に社内への展開を加速させました。2025年からは、社員個人ベースで言えば1日30分から1時間程度の生産性向上に繋がっているという声が出てきています。

林:素晴らしいですね。スズキさんは経営層の巻き込みについても、いつも非常に早い印象があります。

野中:たしかに、トップのコミットメントはかなり強いですね。 象徴的な例を挙げると、弊社には全役員を対象に選定された41冊の「役員課題図書」というものがあります。単に推奨されているだけでなく、誰がどれだけ読んだかがスコアリングされ、全社に公開される仕組みになっているんです。それくらい、トップの「本気度」が組織に対して可視化されています。

デジタル領域においても、2022年に役員や本部長自らが「業界No.1のDXチームになろう」と宣言し、率先して学んでいます。2023年には役員・本部長向けのDX研修を内製で実施し、実際にChatGPTを使ってプログラムが作れることを体感してもらいました。役員から部長層へ、と順を追って取り組みを広げてきたことで、AIに対する柔軟な姿勢が組織全体に醸成されています。 現在では、全社員の約7割が一度は生成AIを触ったことがある、という状態です。

林:7割という数字は驚異的です。組織を動かす秘訣は何でしょうか。

野中:やはり「上から変える」ことです。組織のトップが自ら率先して動くことで、社員の挑戦に対しても自然と背中を押せるようになる。これが非常に重要だと思っています。

最近も、カプコンさんとスズキのコラボレーションで、ゲームとモビリティを融合させた新たなユーザー体験の創出に取り組んでいます。若手がこうした斬新な企画を出したとき、社長も含めて即座に「やってみよう」とGOが出て、一気に実現まで漕ぎ着けました。上が挑戦の姿勢を提示し続け、下が自由に動ける文化を作ること。変革を進める上では、これが一番の秘訣だと感じています。

現場の「試行錯誤のプロセス」にこそ、真の暗黙知が眠っている

林:今回の「GENIAC AI-Readyプロジェクト」では、暗黙知の形式知化に挑みます。スズキの中に眠る、まだデータ化されていない重要な資産とは何でしょうか。

野中:それはもう、山ほどありますね。例えば、車を一台世に出すまでには膨大な実験が行われますが、最終的に図面として残るのは「勝ち抜いた正解」だけです。

しかし、実はその裏で捨てられていった「なぜこれはダメだったのか」という失敗や、試行錯誤のプロセスにこそ、替えのきかない価値がある。こうした暗黙知をいかにデータとして蓄積していけるかが、今後の鍵だと思っています。

また、製造現場における機械設備の不具合特定なども、弊社を支える重要な暗黙知です。油圧や電気、物理的な摩耗が複雑に絡み合う中で、ベテランはわずかな変化から瞬時に異常を察知します。こうした「物理法則に基づいた知恵」を、AIがいかに突き止め、表現できるか。この解析が進めば、開発スピードも品質も劇的に向上するはずです。

林: まさに「製造業の知」の心臓部ですね。

野中: はい。今回のプロジェクトでは、我々製造業がいまだ言語化・構造化できていない社内の知識を、AIによって可視化・表現していくことに期待を寄せています。

また、こうしたデジタル活用においては、現場の社員が実際に使う際のUI/UXも極めて重要です。自社でAIプロダクトを市場に展開されているストックマークさんのそうした知見を吸収することで、AIを単なる「ツール」に留めず、個人の能力拡張を支える「パートナー」のような存在へと昇華させていきたいと考えています。

AIのアウトプットから「気づき」を得て、人間はクリエイティブの領域へ

林:AIが進化し、あらゆる業務が自動化される先で、人間はどこにエネルギーを集中すべきだとお考えでしょうか。

野中:決まりきった判断基準に基づく定型業務や、機械的な承認作業などは、すべてAIに任せてしまえばいいと思っています。 例えば今、私たちの本部で「ジムニー」のファンコミュニティアプリを内製開発していますが、そこでもAIを開発プロセスに組み込み、開発期間をこれまでの半分に短縮することに挑戦しています。

林:期間が半分になれば、浮いた時間で人間は何をすべきだとお考えですか。

野中:一言で言えば、クリエイティブな「気づき」を得ることです。 単純な作業プロセスに追われるのではなく、AIが出してきた膨大なデータの傾向から、「今まで見落としていたが、次はここを攻めるべきではないか」という新たな一手を導き出す。 そうした人間にしかできない戦略的な思考に時間を割くべきです。

ただし、人間が「AIに使われている」と感じてしまうような状態は避けなければなりません。だからこそ、AIを主従の「主」にするのではなく、あくまで自分の能力を5倍、10倍に拡張(エンハンス)してくれるパートナーとして使いこなす。 そう思えるマインドセットと環境を整えることが、何より重要だと考えています。

苦境を「ひっくり返せた」時のやりがい。諦めない心が未来を創る

林:野中さんがこれまでのキャリアを振り返って、仕事で最も「楽しさ」を感じたのは、どのような瞬間でしたか。

野中:それはもう「みんなが無理だと言ったことを、ひっくり返せた時」に尽きます。

かつてインドネシアに駐在していた時のことですが、現地の通信環境が非常に不安定で、本来やりたかったIT活用がままならない状況がありました。周囲から「日本と同じようにはいかないよ」と諦めムードが漂う中でも、我々は現地の国営通信会社に直接話にいって交渉し、回線の冗長性を確保して「切れないネットワーク」を作り上げました。

「自ら行動して、現状を変える」この泥臭いプロセスそのものが、仕事の醍醐味だと思っています。

林:最後に、いま現場でAI活用や変革に奮闘しているリーダーたちへ、メッセージをお願いします。

野中:変革に取り組んでいると、時には周りがみんな敵に見えるような孤独な状況もあるでしょう。でも、そうした時にこそ諦めないことが大切です。

目の前でうまくいかないことがあっても、とにかく「やり続ける」こと。 今私たちが熱狂しているニューラルネットワークの基礎となる論文が出たのは、実は私が生まれるより前の1957年です。それから数十年の間、光が当たらない時期でも潜ってやり続けてきた先人たちがいたからこそ、今こうして花開いているわけです。

たとえ一時的に課題が生じても、必ず科学は進歩しますし、克服できます。諦めずにやり続けたその先に、ピースが揃い、かつては「できるはずがない」と思っていたことができるようになる未来が待っています。