130年の「習慣」を科学する。ライオンがAIで挑戦する「未来予測型経営」

現在、ライオン株式会社とストックマークは日本の生成AI開発力を強化するための経済産業省とNEDO主導の「GENIAC」プロジェクトにおいて、製造業の複雑なデータをAI Ready化するための取り組みを共に推進しています。本対談では、同社のDX戦略をけん引する中林氏に、AI活用を通じたこれからのビジョンや、AI時代における人間の仕事の醍醐味について、ストックマークの林が伺いました。

130年の「習慣」をデータでReDesignする

ストックマーク 林(以下、林):ライオンさんは創業以来、日本人の生活に深く根ざした「習慣」を作り続けてこられました。いま、中林さんがデジタル戦略のトップとして、どのようなミッションを掲げ、注力されているのか、改めてお聞かせください。

ライオン 中林氏(以下、中林):私たちのパーパスは「より良い習慣づくりで、人々の毎日に貢献する(ReDesign)」というものです。130年以上の歴史の中で、歯みがき、手洗い、洗濯といった日常の当たり前を作ってきました。私のミッションは、この「習慣」をデジタルとデータの力で科学し、次のステージへ引き上げることです。

いま取り組んでいるのは、2030年に向けた中長期経営計画の「次世代ヘルスケアのモデル構築」です。例えば、これまでは「ムシ歯にならないための口腔衛生」が中心でしたが、これからは人生100年時代を見据え、噛む、飲み込むといった「口腔機能」までをケアの対象に広げていく。これをアジア全域に展開するデジタル基盤を再構築しています。

それと並行して、全社的な「オペレーショナル・エクセレンス」の実現ですね。サプライチェーン、研究開発、マーケティングなど、あらゆる現場の意思決定を、個人の経験則からデータに基づくものへと変えていく。これが「習慣を科学する」ということであり、私がライオンで成し遂げたい変革の核心です。

エクセル脱却から始まる「未来予測型経営」と組織変革の教訓

林:全社的なAIの浸透具合はいかがでしょうか。特に、中林さんが以前からおっしゃっている「未来予測型経営」はどこまで具現化されていますか。

中林:データの「見える化」に関しては、去年の秋から全社員がアクセスできるダッシュボードをリリースしました。面白いのは、経営会議の景色がガラッと変わったことです。これまでのようなエクセルやパワーポイントでの資料作成は極力減らした結果、今では会議室のモニターに直接ダッシュボードを映し、「今、何が起きているか」をリアルタイムに議論しています。

単に実績を見るだけじゃありません。AIが「このままいくと着地はどうなるか」を予測し、目標とのギャップを算出する。そのギャップを埋めるために、どの施策に投資すべきか。これが私の目指す「未来予測型経営」の第一歩です。

林:素晴らしいスピード感ですね。ただ、組織文化や人の意識を変えるのは、理屈だけではいかない難しさがあると思います。DX・AI推進をリードされてきた中で得た「組織変革の教訓」はありますか。

中林:教訓としては「時間軸をデザインする」ということですね。私はよく「7つの時間軸」という話をします。3年の中期経営計画、1年の年度計画、半期、四半期、月次、週次、そして日々の業務。組織を大きく動かすには、この全てのレイヤーで「何を変えるか」を定義しなければならない。

いきなり3年後の未来を語っても現場は動きません。逆に日々の業務改善ばかりでは、大きなピボットは起きない。だからこそ、現場のリーダーたちが「これなら自分の業務が楽になる」と実感できる小さな成功体験を積み重ねつつ、経営層には「3年後の資産価値」を説き続ける。この、異なる時間軸を同時にホールドし続ける粘り強さが、変革には不可欠だと思っています。

デジタル化の外堀を埋め、「真の暗黙知」をあぶり出す

林:今回、ストックマークと共に「AI-Readyプロジェクト」をスタートさせました。ライオンという企業を支えている、まだデータ化されていない重要な「暗黙知」には、どのようなものがあるとお考えですか。

中林:実は、巷で言われる「暗黙知」の多くは、単にこれまで「デジタル化の優先順位が低かっただけのデータ」であることが多いんです。

プロジェクトを進める中で、まずは徹底的にデジタル化できるところから着手して、外堀を埋めるようにデータを溜めていこうとしています。そうやって「暗黙知ではない部分」をそぎ落としていった時、最後に残る「真の暗黙知」とは一体何なのか。実は、まだそこにたどり着けていないのが現状です。

一方で、すでに抽象化・構造化されているナレッジではなく、現場の各ラインに特有の「癖」のようなものは非常に重要です。現場に行って実際にラインを動かす際の微細なナレッジを形式知化できれば、生産技術のメンバーにとっても非常に大きな価値になると考えています。

林:今回のプロジェクトを通じて、そうした知見がAIによって形式知化されることへの期待を教えてください。

中林:独自のLLMも構築したいと考えていますが、自社だけではデータセットの準備やノウハウが足りず、事業会社だけでやりきるのは難しいのが実態です。

だからこそ、ストックマークさんのようなパートナーと一緒に取り組むことに意味があると考えています。ライオンにしかないデータセットの構築や、それを使ったモデル、さらにはそれをパッケージ化した製品のような形にまで昇華できれば理想的ですね。

これをマーケティングに応用すれば、これまで調査会社に依頼していた業務を代替できるレベルにまで持っていけるのではないか。実用的な仕組みとして汎用化するのは簡単ではありませんが、今回のプロジェクトを通じてそうした段階を目指したいと考えています。

人間はAIを制御し、働き方を「デザイン」する側に回る

林:AIがさらに進化し、社会や組織が劇的に変わっていく中で、どの業務まではAIに任せ、人間はどこに集中すべきだと思われますか。

中林:私は、これからは人間とAIが「ハイブリッドに働く」ための形を、会社としてデザインすることが重要になると考えています。 例えばコーディングなどの技術的な作業はAIに任せればいいのですが、すべてを全自動で完結させるわけにはいきません。

AIに丸投げするのではなく、要所に「チェックポイント」を作り、そこで人間がしっかりと確認を行う。 企画書のようなアウトプットにしても、AIが作ったものをそのまま通すのではなく、人間が「ハーネス(制御)」をかけて、会社としてどうデザインし、フォローしていくかが非常に大事になります。

AIという道具をどう使いこなし、人間がどこで介在して質を担保するか。この「ハイブリッドな働き方のデザイン」こそが、これからの人間の重要な役割になっていくはずです。

試行錯誤のプロセスこそが組織を変える原動力

林:中林さんご自身のキャリアを振り返って、仕事に熱中し、楽しさを感じた瞬間には、どんな要素がありましたか。

中林:私はもともと、計画的にキャリアを積んできたタイプではないんです。むしろ、偶然の出会いや「こうした方が良い」という直感に従ってきた。いま振り返って思うのは、やはり「自分のデザインしたものが、世の中に大きな影響を与えている」と実感できた時が一番楽しかったですね。

特にいま、ライオンという歴史ある会社を、テクノロジーの力で次のステップに進めようとしている。このダイナミズムの中に身を置き、長期的な時間軸で戦略をデザインすること自体が、私にとっての「仕事の醍醐味」です。

林:最後に、AI活用で変革に取り組んでいる現場のリーダーたちへ、メッセージをお願いします。

中林:「Think Big, Act Small, Fail Fast, Learn Rapidly」。とにかく、これに尽きます。大きく考えつつも、まずは小さく触ってみる。AIは魔法の杖ではなく、ただの「道具」です。でも、使いこなせばとてつもない効果を発揮する。

失敗を恐れて動かないのが、今の時代、最大のリスクです。まず使ってみて、失敗して、「ああ、ここはAIには無理だな」「ここは得意だな」と肌感覚で理解する。その試行錯誤のプロセスこそが、自分自身の市場価値を高め、組織を変える原動力になります。一緒に「新しい当たり前」を作っていきましょう。